現地からの報告

 天ぷら廃油を燃料とするクルマで釜石に支援に行っていた仲間から無事に戻ってきましたと、今日の午前中、電話がありました。現地のテレビの報道を見てしまうと、被災地はだいぶ落ち着いてきているように見えるけど、被災した人の数や避難所の数、それに個々に避難しているひとがたくさんいて、食料や水や支援物資がいきわたっているという状況ではないとのことでした。燃料とクルマが確保できない限り、個々に避難している人(特に老人やけが人や病人や障害者など弱い立場にある人たち)は動くことさえできないので、こちらから訪ねていって「大丈夫ですか、足りないものはないですか?」と声をかけに行く必要があるとのこと。そして、それには膨大な労力がいる。また、被災当初から入っている人たちは、すでに疲労困憊しているはず、とのことでした。
 また、片道13時間かけて気仙沼までボランティアに行ったという狭山でお茶を作っている友人からは……行きましたが 我々には なにも できなかった! 暖かいお茶を飲んいただこと思って行きましたがそんな状況ではありませんでした。笑顔をふりまくこともできない……。テレビやラジオで頑張れとさかんに言っていますが「がんばってください」と声をかけることさえもためらわれる状況でした、とのことでした。
 以下は花巻を拠点として被災当初から支援活動をしている山田周生さんのブログからの抜粋です。被災しながらもいま避難所で支援活動をしているひとのつぶやきです。
「今思うのは、これからの生活のこと。仕事をしていないから、給料が入らない。実生活の金銭の問題に対して、どういったケアを国がしてくれるのか。また、仕事が戻ってくれば、避難所で動ける人の数が減る。そうなると子供と老人しか残らなくなる。今のような状態をそれでどうやってケアするのか……」

 現在、確認されている避難所だけでも2000箇所以上あるとのことです。そしてそれらの多くが依然としてさらなる支援を必要としています。これは有志のボランティアだけで解決できる規模の問題ではないように思えます。国や地方などの組織が率先して、国民全員がなんらかの形で全力で支援を行うことができるような仕組み作りが必要なように思います。
 誰もがいま思っている「何か役に立ちたい」という気持ちを大切にすることで、ひととひととのきずなやつながりをさらに深めることができると思うのです。大変なことが起こってしまい多くの尊い犠牲があったけれども、でも、その尊い犠牲の元、日本はますますいい国になった……、そんな風にできたら、いいのになぁ。