お礼

4月9日 和火エンターテイメントさんが「昌福寺花まつりチャリティーイベント」を開催し、17万8505円の支援金をピースワーカーズに寄付してくださいました。ありがとうございました!

和火エンターテイメント↓
http://www.kazka.info/index2.html


4月24日 八ヶ岳音楽連絡会議さんが長坂のまちなか公園にて、「東日本大震災復興チャリティーコンサート」を開催し、支援金5万9806円をピースワーカーズに寄付してくださいました。
ありがとうございました!

コンサートの様子が書かれた記事↓
http://mmist0627.blog101.fc2.com/blog-category-2.html

あたたかい支援、本当に感謝しています。
みなさんにひとりずつお礼できないのが申し訳ないのですが、この場を借りて、ありがとう!!!!!

やぁりぃ(三澤 麻衣子)

持留さんからの報告とほしい物リストのお礼

 石巻に入っている持留さんから、フェイスブックツイッターに報告をいただいています。「amazonのほしいものリスト」、すごくいい感じで被災者の方たちの役に立ち、とっても喜んでいただけたようです。ありがとうございます。その様子をぜひお伝えしたくて、ここにも紹介させていただきます(わたなべ)。持留さん、なにか問題あったら連絡ください。


●4月19日 がーっ! こんな時に……お客さんのサイトが飛んだ。今から仮設ページつくり。石巻への出発は明日の朝……。
●4月20日 石巻に向けて、7時間のドライブに出発。車の中には、提供していただいた野菜、蜂蜜、花、日用雑貨などでいっぱい。みなさん、ありがとう。
●4月23日 石巻で支援活動を続けています。アマゾンのほしい物リストで贈っていただいた品々、無事届いてます。ありがとうございます! 中でもフットバスは、思わずこの商品の営業マンになりたくなるほど喜ばれました。
●4月23日 ほしい物リスト、まるで現代の魔法のようだと大変喜ばれています。被災者のみなさんの感謝の声は、本当は品々を贈っていただいた方が受け取るべきものなのに、ちょっと申し訳なく思います。贈っていただいた人へお礼状が出せる機能があるといいですね。それとも、もうあります?
●4月23日 新規にほしい物リストへのご支援のお願いです。どなたか一升炊きの炊飯器を贈っていただけないでしょうか? 支援先の避難所には炊飯器がなく、薄手の鍋でご飯を炊いていて、毎回のように焦がしてしまい困ってます。よろしくお願いします! リストはこちら http://ow.ly/4FaZS
●4月23日 支援活動はチームに分かれて行なっており、僕は昨日今日と個人のお宅の家の泥だし&片付けをさせていただきました。最初は、途方にくれるほどグチャグチャになっていたのが、みるみるうちに片付いていって魔法のよう。人間の力だってすごいんだぞ。
●4月23日 さきほどほしい物リストに追加させてもらった炊飯機、もうどなたかに贈っていただきました。ありがとうございます!うれしいです。大切に使わせていただきます。


 という感じです。被災地向けのほしい物リストですが、贈ってくれた人、個々にお礼のメールをお送りしたいところなのですが、残念ながらそうしたそんな機能はないようです。贈り主のメールアドレス開示はポリシー違反なってしまうようなのです……。そんなわけで、それぞれの方にお礼をお伝えできませんが、みなさん、本当にありがとうございました。

白州町ベルがでのチャリティーライブのお知らせ

 4月29日金曜日、北杜市白州町のベルガ(の灯鳥)で、タテタカコさん、矢野絢子さんをお迎えしてチャリティーライブがあります。森カフェの関連で、kinoカフェの希野さんが中心になって企画してくれました。ピースワーカーズで実際に現地に行かれた方にお話をしてもらったりもしたいと考えているとのことです。

↑クリックすると少し大きくなります。(わたなべ)

石巻への想い

アフリカドラムの仲間・たこ焼き屋さんビワ君から記事を
書いて頂きました。



4月16日(土)の夕方…
お世話になった町の人や、ボランティア仲間に別れを告げ、エザと山梨まで車を走らせました。

車中では、今までの活動の事、これからの復興への心配など…
たくさん話しました。

一つの『村』づくり。

それはボランティアの人が、ただ物資を運び、届けるだけの繋がりではなく、困った時には耳を傾け、手を貸し、足を貸し、助け合い、共有し…
苦労を皆で分かち合う。

そんな人と人とが、知恵や力を貸し合えるような『絆(村)』作りが理想でした。
そして、それに近づけるような活動をしてきたつもりです。

村と村は互いに協力しあい、後にはボランティアに頼る事なく自力で歩いていける『石巻の住民一人一人』が主役の町作り…

実際、目指していた理想が形となって見えてきた地区もありました。とても嬉しい事でした。

しかし、心配な事もいくつかありました。

今はまだ目の前にある家の片付けや、物資の確保で精一杯の方々…
同じ被災されたかたでも、自分の事を後にまわし、他の方々の為に物資の配給をしてくれたり、情報窓口になり協力してくれてる人もいます。
ただ、被災から一ヶ月と少し…そんな方々も肉体的にも精神的にも疲労困憊です。

物資の配給がうまくできなくなったり、情報が流れなかったりという事も出てきました…

頼りになる人に頼りきるのではなく、これからの生活をどうしていきたいのか?
一人一人が強く心に描き、自らが行動していってほしいと思いました。

そしてボランティアについて…

復興を早く早くと焦るばかりに、被災された方々の気持ちより三歩も四歩も先に行き過ぎているかたも何人かいらっしゃいました。

同じボランティアとして被災された方々の為に動いているのはよくわかってはいるものの…
結果、被災者も他のボランティアも振り回されてしまう。
凄く頑張っているのに、なんだかとても残念で仕方がありませんでした…

被災された方々の気持ちを考慮して、被災者の目線で、復興支援はしていかないといけないんじゃないかと思いました。

ボランティアの人達も、頑張りかたを少し工夫するだけで…自己満足ではない、皆が幸せな気持ちになる支援になると思うのです。

何はともあれ、まだまだ先はとても長いのです。私達の活動が、被災地の方々の、自らの足で力強く歩いていけるような『道づくり』に繋がる事を、心から願っています。

とても濃い三週間でした。ピースワーカーズの皆さん、関わった皆さん…
ありがとうございました。

http://jp.f1001.mail.yahoo.co.jp/ym/ShowLetter?box=Inbox&MsgId=2803_1839950_2116412_2464_175385_0_7111_228093_3474583065&bodyPart=2&tnef=&YY=53820&order=down&sort=date&pos=0&view=a&head=b&Idx=1

石巻を振り返って

今回は、格闘家を目指す通称・エザの記事です。



こんにちは、奈良出身24歳の江崎です。
僕は震災の後ずっとテレビやインターネットの画面にかじりついていましたが、先に石巻市に突入していた、人生の先輩であり、また親友でもあるビワさんと電話で話し、何も考えず、車に自分で滞在する間生活できる分だけのガソリンと食料とアウトドア用品だけを積んで出発しました。

4月4日から4月17日まで主に石巻市で、ボランティアのローラー部隊として、車で街中を走り回りながら、被災者の人たちから求められる様々なニーズに答えていく「なんでも屋さん」として活動していました。

ローラーとは本来、行政や自衛隊の取りこぼしている地域や個人宅に、緊急に必要とされる物資を届けてまわるという印象がありますが、僕の到着した時ぐらいには、被災者の方たちからの平均的なニーズは、水、パン、などから、野菜、果物、レトルト食品というように推移してる状態だという印象があったため、ある程度の緊急性は僕以前のボランティアの方たちの働きで、緩和されていたようです。

そのため当時の活動内容は、現場であがった緊急性のあるニーズへの対応、それとボランティアの人達が主体的な発想で、次の展開を作っていくというものになっていたようで、各ボランティアスタッフが夜のミーティングで確認しあったり、議論しあったりしていました。

本当にボランティアの皆さんの発想は驚くものばかりで、多種多様です。

みんなが集まるボランティア村から拠点を街よりも浜の集落の方に移し変えながら現地の人たちと共同して復興していこうとしている人たちや、誰よりも危険な浜辺にテントをはって住民の人たちとの信頼性を作っていこうとする人や、無くなったバス停を作る人たち、現地の人を巻き込んでいきながら炊き出しをしていこうとする人たち、ご当地名物の「石巻やきそば」を復活させようとする人。
また、ボランティア村に残って、倉庫を管理する側に回ってくれている人や、トイレ掃除やテントの管理まで請け負ってくれている人たち、忙しく活動して帰ってきたところに足湯を用意してくれていたボランティアを労わるスタッフの存在が有り難かったです。

皆さんの発想と活動が、刺激しあって、お互いにどんどん活性化しながら復興に向かっていこうとするエネルギーを感じました。

僕自身は、話し相手を欲しているような人のところに行って、一緒にお茶をしたりご飯を食べたりしてよくサボっていましたが、、
泥だしを手伝ったり。専門的なボランティアの人を求めてる被災者の方のところに送り届ける足になったり。配給先の拠点になってもらっている家の負担を軽くする為に、近隣の住民の方々に声をかけて手伝ってもらうカタチを作っていったり。ボランティアの側に現地の若い人たちを巻き込んでいこうとしたり。女川の原発に避難している人たちの心理的な負担を軽くするためにお話しに行き、その後でローラー部隊の方たちが継続的に女川原発に入れるようなカタチを提案したり。というような活動をしていました。

実際には、どれも、完全ではなくて、今後も課題は残されたままなので、心残りな点がいくつもあるのが事実ですが。

印象としては、震災から一ヶ月と少したった今、ボランティアの受け入れ口もどんどん開かれていく一方で、一点にボランティアの方々が集中してしまい、団体行動が多くなるにつれ、個々のボランティアの方々の主体的で創造的な活動が難しくなるのではないかという不安と、行政や自衛隊の活動もその組織力を増し、ボランティアやNPO団体の活動も、「なんでもあり」ではなくなってきている感もありました。

僕個人の意見としては、自らの意志で現地に来た以上、所属や組織体の一部として機能することも大切ですが、自分個人レベルで感じるままの被災地のニーズに答えていくことも大切だと思います。

被災者の方々の一人一人に一個人として向き合うことがボランティアと被災者の間に引かれる境界線をなくし、お互いの信頼関係から始まる活動が理想なのではないかと、思いながら活動していました。

あくまでも僕のイメージですが、現段階では、救援活動というもののニーズは緩和されてきて、次第に復興活動というものになってきているのではないかと思います、復興活動にはやはり現地の人々の主体的な参加が必要であると思います、ローラーの作業を一緒にやってくれた現地の高校生の働きを見ていると、やはり、県外の僕たちよりも、自分の街、自分の街の人々に対する思いは現地の人の方が強いためか、ボランティアとしても現地の人の方が、熱心に活動してくれた印象がありました。

楽観的ですが、行政と自衛隊、そしてボランティアと現地の人々が協力し合って動き始めると、ものすごい速さで復興してしまうのではないかとすら思いました。
その反面でやはり、震災の爪あとの中で立ち直れない人たちがいて、未来への不安をほとんどの人々が抱えているのも事実です。

今回僕が大切だと思ったことは「無視しないこと」です、震災の後テレビにはりついていた時、僕はある意味被災者の人たちを無視していました、けれど無視したままでいるのが嫌だったから、現地にまで行けました、被災地との関係の仕方は人それぞれです、物資を送る、募金する、現地に向かう、その中で自分が一番妥協しないやり方で「無視しないこと」が大切だと思いました。

東北の人たちの忍耐強さや自分でなんとかしようとする思いには、本当に驚かされました、けれど、本当はいくらでも困っていることはあるし、求めているものもあります、現地からのニーズはまだまだ終わらないと思うので、ボランティアの力がまだまだ必要だと思います、なにをするべきか?なにが必要か?なにができるか?は現地に行ってから考えるのが一番だと思います。

なによりも大切なのは自他共に「無視しないこと」を続けていくことなのではないかと思います。

現地からの報告

以下は、現地で活動中のケイコさんからの麻子さん宛てのメールです。
そのまま掲載します。



 バス停プロジェクトは大成功でした。お母さんたちと中でおもち丸
めながらお話してたんだけど、毎年この時期には神社のお祭りでお餅ついて
たんだって。(最近は杵じゃなくて機械でやっていたらしいですが)それ
で、ついたお餅を袋に詰めながら『あぁ、今年も出来て良かった』って喜んでくれていたのが印象的でした。

テープカット用のテープも昨日お花屋さんに行って事情を話たら好意でリボ
ンまで編んでくれて、お礼にヒマワリ買おうと思ったら、それもプレゼント
して下さいました。そして市役所の広報にお願いして帰ってきたんですが、
今日地元の新聞社さんが取材に来てくれて、芸能人がたくさん来ていて取材
忙しい中、こういった現地で知り合ったボランティア同士の地元密着型の活動にすごく共感して好意を持ってくださいました。

ピースワーカーズ最高!!!!

火曜日の新聞に載せてくださるそうです
今日はこれから公民館で地元の方々との親睦会です。


(転載ここまで。)


写真も載せましたが、うまく見られるかな?

現地からの状況報告がままならず、八ヶ岳事務局も悩んでおります・・・
大事なことですので、この点を改善すべく今いろいろ計画しています。
もうしばらくお待ちくださいね!

現在ピースワーカーズは、八ヶ岳在住者に限らず、現地で出会った個性的な仲間達とともに、地域密着型の活動を展開しています。

この報告に書かれているのは、集中的に支援している拠点のひとつ、「蛤浜」にみんなでバス停を作るプロジェクトが完了し、テープカットやおもちつき(おたてまい)が行われた時の様子です。

写真が見られれば、ものすごくすてきなバス停と、地元のおばあちゃんのおだやかな表情がご覧いただけるはず。

こういうひとつひとつの出来事で、被災者の方々に生きる希望を持っていただけるように、というのがメンバーの願いです。

最後に書かれている「親睦会」とは、石巻本部として使わせていただいている表沢田公民館で、地域の方とボランティアが一緒にごはんを食べつつ、交流をする会で、今回初めてでした。

昨晩、親睦会の最中、表沢田の区長さんから八ヶ岳にいるアユミに電話がかかってきました。
とてもしあわせそうな声で、感謝のお気持ちを伝えてくださり、これからも一緒にやっていきましょう、とのことでした。

まだまだ解決すべき問題はたくさんありますが、よいニュース、うれしいですね!

by-やぁりぃ(三澤 麻衣子)