石巻を振り返って

今回は、格闘家を目指す通称・エザの記事です。



こんにちは、奈良出身24歳の江崎です。
僕は震災の後ずっとテレビやインターネットの画面にかじりついていましたが、先に石巻市に突入していた、人生の先輩であり、また親友でもあるビワさんと電話で話し、何も考えず、車に自分で滞在する間生活できる分だけのガソリンと食料とアウトドア用品だけを積んで出発しました。

4月4日から4月17日まで主に石巻市で、ボランティアのローラー部隊として、車で街中を走り回りながら、被災者の人たちから求められる様々なニーズに答えていく「なんでも屋さん」として活動していました。

ローラーとは本来、行政や自衛隊の取りこぼしている地域や個人宅に、緊急に必要とされる物資を届けてまわるという印象がありますが、僕の到着した時ぐらいには、被災者の方たちからの平均的なニーズは、水、パン、などから、野菜、果物、レトルト食品というように推移してる状態だという印象があったため、ある程度の緊急性は僕以前のボランティアの方たちの働きで、緩和されていたようです。

そのため当時の活動内容は、現場であがった緊急性のあるニーズへの対応、それとボランティアの人達が主体的な発想で、次の展開を作っていくというものになっていたようで、各ボランティアスタッフが夜のミーティングで確認しあったり、議論しあったりしていました。

本当にボランティアの皆さんの発想は驚くものばかりで、多種多様です。

みんなが集まるボランティア村から拠点を街よりも浜の集落の方に移し変えながら現地の人たちと共同して復興していこうとしている人たちや、誰よりも危険な浜辺にテントをはって住民の人たちとの信頼性を作っていこうとする人や、無くなったバス停を作る人たち、現地の人を巻き込んでいきながら炊き出しをしていこうとする人たち、ご当地名物の「石巻やきそば」を復活させようとする人。
また、ボランティア村に残って、倉庫を管理する側に回ってくれている人や、トイレ掃除やテントの管理まで請け負ってくれている人たち、忙しく活動して帰ってきたところに足湯を用意してくれていたボランティアを労わるスタッフの存在が有り難かったです。

皆さんの発想と活動が、刺激しあって、お互いにどんどん活性化しながら復興に向かっていこうとするエネルギーを感じました。

僕自身は、話し相手を欲しているような人のところに行って、一緒にお茶をしたりご飯を食べたりしてよくサボっていましたが、、
泥だしを手伝ったり。専門的なボランティアの人を求めてる被災者の方のところに送り届ける足になったり。配給先の拠点になってもらっている家の負担を軽くする為に、近隣の住民の方々に声をかけて手伝ってもらうカタチを作っていったり。ボランティアの側に現地の若い人たちを巻き込んでいこうとしたり。女川の原発に避難している人たちの心理的な負担を軽くするためにお話しに行き、その後でローラー部隊の方たちが継続的に女川原発に入れるようなカタチを提案したり。というような活動をしていました。

実際には、どれも、完全ではなくて、今後も課題は残されたままなので、心残りな点がいくつもあるのが事実ですが。

印象としては、震災から一ヶ月と少したった今、ボランティアの受け入れ口もどんどん開かれていく一方で、一点にボランティアの方々が集中してしまい、団体行動が多くなるにつれ、個々のボランティアの方々の主体的で創造的な活動が難しくなるのではないかという不安と、行政や自衛隊の活動もその組織力を増し、ボランティアやNPO団体の活動も、「なんでもあり」ではなくなってきている感もありました。

僕個人の意見としては、自らの意志で現地に来た以上、所属や組織体の一部として機能することも大切ですが、自分個人レベルで感じるままの被災地のニーズに答えていくことも大切だと思います。

被災者の方々の一人一人に一個人として向き合うことがボランティアと被災者の間に引かれる境界線をなくし、お互いの信頼関係から始まる活動が理想なのではないかと、思いながら活動していました。

あくまでも僕のイメージですが、現段階では、救援活動というもののニーズは緩和されてきて、次第に復興活動というものになってきているのではないかと思います、復興活動にはやはり現地の人々の主体的な参加が必要であると思います、ローラーの作業を一緒にやってくれた現地の高校生の働きを見ていると、やはり、県外の僕たちよりも、自分の街、自分の街の人々に対する思いは現地の人の方が強いためか、ボランティアとしても現地の人の方が、熱心に活動してくれた印象がありました。

楽観的ですが、行政と自衛隊、そしてボランティアと現地の人々が協力し合って動き始めると、ものすごい速さで復興してしまうのではないかとすら思いました。
その反面でやはり、震災の爪あとの中で立ち直れない人たちがいて、未来への不安をほとんどの人々が抱えているのも事実です。

今回僕が大切だと思ったことは「無視しないこと」です、震災の後テレビにはりついていた時、僕はある意味被災者の人たちを無視していました、けれど無視したままでいるのが嫌だったから、現地にまで行けました、被災地との関係の仕方は人それぞれです、物資を送る、募金する、現地に向かう、その中で自分が一番妥協しないやり方で「無視しないこと」が大切だと思いました。

東北の人たちの忍耐強さや自分でなんとかしようとする思いには、本当に驚かされました、けれど、本当はいくらでも困っていることはあるし、求めているものもあります、現地からのニーズはまだまだ終わらないと思うので、ボランティアの力がまだまだ必要だと思います、なにをするべきか?なにが必要か?なにができるか?は現地に行ってから考えるのが一番だと思います。

なによりも大切なのは自他共に「無視しないこと」を続けていくことなのではないかと思います。