山梨事務局の動き

3月22日

朝から何人の人と話しただろうか?アフリカンのハルエちゃん、ガス屋さん、板金屋さん、第2部隊で行く岳ちゃん、新たな志願者、イワタさん&バンノさん、原村支部のエミちゃん、
ホッサン、石巻現場のひろさん、麻衣子、ガソリン缶を頼んだ奈良のびわっち、はるき、デイケア音楽ボランティアの依頼の件でヤガサキさん、
山日新聞のシライシくん、、


こんな様子で、支援活動と日常を行ったり来たりしてます。



YPWは、非常事態だからこそ起きた動きで、本来なら、というか今も同時進行で引越し先の工事と、今住んでる家の片付け
の真っ最中だ。 その予定は3月いっぱい、、、そりゃ無理でしょ!と思ってるとトシやリョウコちゃんが手伝いに来てくれ、アツシくんが引越しを手伝ってくれる。 みんなありがとう!
簡単には、投げ出せないので出来るだけやってます。
 

さて、昨晩は峡北交通の緊急車両登録のバスで福島と仙台に
行って帰ってきた‘NPO法人甲斐の恵み‘のハヤシベさんと
NPO法人えがおつなげてのえいきさん、第2隊志望のイワタ
さん達も参加してもらいミーティングを開いた。




 YPWは有志の集まりなので、資金力、車両等が持ち出しに
なりがちなので長期戦に備えて継続支援のバックアップを他
団体にお願いしたいこと、それと情報収集と情報拡散が目的。

 
‘甲斐の恵み‘のハヤシベさんは、メンバーの中にバス会社を
運営してる方がおり、そのバスで被災地を脱出したい方を救えるかもしれないというのが最初の動機で動き始めた方だ。

 その動きの中で空荷で現場に向かうのは、もったいないということで‘えがおつなげて‘に11日地震後に相談したところ

、12日夜には、3000食のレトルトカレーをはじめ、2トントラック1台分+ハイエース1台分の物資が集まり、
福島に届けて帰りの足で10名余りを非難させたそうだ。

 その後もう一度行くも十分な情報が集まっておらず、仙台で被災した青年を一人だけ連れて東京まで送る。

 ハヤシベさんの要望は現地入りしてるYPWに災害ボランティア本部と連携をとってもらい避難希望者の情報を得ることを必要としていた。



 えがおつなげてはおおきな団体なので、独自に運営し支援活動もやっていける団体で、現状ですでに集まってる物資、義援金が有効に使われるのであれば、今回に限り協力できる部分もあるということでした。

 

 それぞれの要求をフルに満たすと後は、第2支援部隊の出発は25日〔バスの都合で〕。
 バスは27日の帰りの便にて、移住希望者〔避難〕を石巻より連れてきたい。
それには信州以西に移り住みたい被災者の受け入れ先の確保が必要となってくる。
 ここ八ヶ岳でも、キープ協会、キャンピカ明野、ペンション組合、八ヶ岳ミュージアムリング等の各団体が受け入れ
支援に乗り出しています。
しかし、いずれも1ヶ月から3ヶ月程度であり、それ以上については各自治体の公団等がもっとも可能性が高く、また避難生活を続ける被災者の気持ちも落ち着くものと考えられます。
 そのあたりの連絡網、繋ぎ役にはわくわく〔地域通貨〕のメンバー久松氏が動いてます。

  久松氏携帯  080−5055−2909
     自宅  0551−47−5239

久松氏の情報によると、ある小淵沢の農家では、空き家と農地があるから農業やって食べてけばいいじゃないかと、所有の土地建物を提供してくれる方もいらっしゃるそうです。

 避難者受け入れの優先順としては、帰る家を持たない、頼る親戚友人もいない方〔緊急性のある〕にそういう受け入れ先に真っ先に出会って欲しいけど、それをリンクさせるのが難しい、、、

 何故か? 情報は、無限に存在するけどもそれを
伝達する人と、整理する人、活かす人が足りてない。
とにかく情報をシェアすること、これから活動する人も情報収集と拡散を念頭に動いてください。 

このブログもそれが狙いです。次のステップが見えてくるでしょう。


昨日イワタさんが、このブログからのリンク先としてBBSを立ち上げてくれました。